バラの花咲く道 & バラ通り La Rue Des Rosiers ピア・コロンボ Pia Colombo を「バラの樹通り」として日本語の歌詞を作りました。
作詞 S.Reiner 作曲 Joel Holmes
「バラの花咲く道 / LA RUE DES ROSIERS」は1967年に作られ、翌1968年のオランピア劇場のライヴ盤(録音はスタジオ)に収録されている名歌で、シンガー・ソングライター、ジョエル・オルメスの作曲した作品です。
ジョエル・オルメスは才能豊かな人物と定評されていて、他の有名作品ではピア・コロンボも録音し、日本のシャンソン歌手も良く歌っている曲「時は過ぎてゆく(人生は過ぎ行く) / LA VIE S'EN VA (ET JE T'AIME)」が周知です。
大戦の最中の12歳の時、彼の両親は突然ドイツに連れ去られ、からくも妹と共に田舎に逃避したものの数多の辛酸を舐めて苦労したという。
‘56年を迎えたころに左岸のキャバレーで歌っていたところでモーリス・ファノンと知り合い、ファノンとの合作をピア・コロンボが歌い成功への道が開かれた。
この「バラの樹通り」とは、パリ4区のヴィユエイユ・デュ・タンブル通りとムマレール通りの間にある「ロジェ通り(バラ通り)」のことであるという。
大戦中では、このユダヤ人街で大勢のユダヤの子供たちがナチスに虐殺されたという。
この作品の対訳をお願いした「村田ナオミ」氏の下記ページにもそのあたりの記述がある。
http://shinshun-chanson-show.tumblr.com/post/156283708962/la-rue-des-rosiers-バラの花咲く道
ピアは、煙突掃除人の父親とジプシーの母親のもとに生まれたが、イタリアの修道院に捨て子とされ、8歳の時に里親に連れられてパリに出た。
舞台への憧れと情熱を捧げ、ダンサーとなるが病気をして断念。
芝居へと転向し、まのたキャバレーで歌うようにもなり若き作詞作曲家のモーリス・ファノンと出会う。
そこでファノンの曲を歌い、感激で涙したファノンと時を経ずして恋に落ち、結婚するに至った。
のちに別れることになったのだが、作品上の関係は続いていて尊敬しあっていたようだ。
歌詞の中に出てくるダビデの星は、ユダヤ人の象徴で大戦中には家の門扉にこのマークを付けられたり、外を歩いていると「ポン」と知り合いに背中を叩かれて、この星のチョークマークを付けられたりしていたという。
ピア・コロンボの作品をアップするのは「スカーフ」「すでに」「恋の友達」に次ぐ4作品目となる。
参考
恋の友達
https://youtu.be/tqMH207TD-Y
すでに・・
https://youtu.be/oazKJCiHA0I
スカーフ
https://youtu.be/bPuMN0W9dY4
関連作品
今は帰れない
https://youtu.be/G_eHq7M-hT0
明日を信じて
https://youtu.be/cw5VDeCIm6g
涙のベルジェ
https://youtu.be/JZpT8ysOsCY
愛の恵み
https://youtu.be/bsMtx7XKUIo
愛しかない時
https://youtu.be/4fiOUT_9aQ8
鶴
https://youtu.be/D6X18QWZPRA
インシャラー
https://youtu.be/WMaCSVA14fk
訳詞・歌 Sima
Pf. 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.158 (初稿)
シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured