恋の友逹 AMI D’AMOUR (ピア・コロンボ & PIA COLOMBO) シャンソン / 訳詞初稿 Sima

2016-02-26 13

恋の友達 AMI D’AMOUR ピア・コロンボ & PIA COLOMBO
作詞 リュック・ロマン 作曲 オスワルド・ダンドレア
日本では’75年に発売されたエスプリ・ドゥ・シャンソンというアルバムに収録されている珠玉の一作。
このアルバムにはピアの代表作の一曲としても知られる「スカーフ」を筆頭に「五月の夕べ」「すでに」等の傑作が収録されているが、未だCD化されていないのが残念。
作曲のダンドレアは、ピアの専属ピアニストで彼女の為に幾多の作品を提供している。

ピア・コロンボは、イタリア人の父親、仏系ジプシーの血を引く母親の間に産まれたが(1934年とも、’37年とも言われるが不明)、生後まもなく修道院の前に捨てられ、孤児として幼少期を過ごした。
1956年パリ左岸のキャバレーで歌い始めた推定19歳の時、彼女に転機が訪れる。
若い作詞作曲家モーリス・ファノンと出会い、恋に落ち結婚に至るも離婚することになるが、ふたりは生涯の友として音楽で結ばれていたという。
そしてバルバラ、グレコとともに、セーヌ左岸を代表する歌手となった。
主としてモーリス・ファノン、レオ・フェレ、ムスタキ、ブレヒト等の作品を歌い、現実派の歌手としてエディット・ピアフと比較されたこともあったようだ。
歌詞を重視して、歌うということよりも語る歌い手として「ディズーズ」とも言われる。
ピアは、常に自分の政治的立場を鮮明にし、68年の5月革命では、ストライキ中の工場を慰安・激励したりし、大統領選挙では、一貫してミッテランへの支持を表明したりしていた。

1979年から81年にかけては、自ら癌と闘いながら、主としてかつては夫であり生涯の友人となっていたモーリス・ファノンの曲を歌い、そして1981年4月22日、彼女はオランピア劇場に髪の毛のない病身の最後の姿を現してステージに立ち、大喝采を浴びる。
1986年4月16日、闘病から身を引くように、享年51歳(52歳?)でその生涯を閉じた。

参考
 「すでに・・」
   https://youtu.be/oazKJCiHA0I
「スカーフ」
   https://youtu.be/bPuMN0W9dY4

訳詞・歌 Sima
Pf 江口純子   in 銀座 月夜の仔猫 
訳詞 no.122 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos

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